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短編小説 Y転マーブル
実はこのブログ、六月ごろに別名義でこっそり仮運営していたのです。
その時に即興で書いた短編小説をサルベージ。
すこし不思議系の話です。
______________________
『Y転マーブル』
喜美子はドライバーを片手に「うーん」と唸った。
見たこともない形の穴を刻まれたネジだった。
+でも-でもない。Y型だ。
もしかしたら、大工などの間では普通に使うものかもしれないが、すくなくとも喜美子の持っているドライバーでは形が合わない。
「わおん」
コーギーのジロウが同情するように鳴いた。
父の形見の黒い木箱は、要所をYネジで留められ、開かないようになっている。一辺二十センチほどの立方体で、材質も塗料もわからないが、鴉色の板にうっすら見える木目が人間の目のようで気持ち悪い。
父はこの箱を自作したのち、「いいか、けっしてネジを抜くんじゃないぞ!」と言い残して、ベランダから飛び降りた。マンションの七階で、即死だった。
職場では専務への昇進が決まったところで、大きな悩みもなかったはずだ。家族関係も円満で、自殺する理由は見あたらない。
それでも彼がいなくなったことは事実であり、母が後追い自殺をしたのも喜美子が直面した現実の出来事だ。
母はこの黒い木箱を手に持ち、急に白髪の増えた頭に爪を立てながら言った。
「あなたはネジを抜いちゃダメよ!」
その直後、喜美子の目の前で彼女はベランダから飛び降りた。
残された喜美子は葬儀ののち、二週間ほど虚脱状態に陥り、ジローと一緒にマンションに引きこもった。
ジロウのドッグフードが切れたので、仕方なしにドラッグストアに買い物へ出かけると、自然に活力が出てきた。黒い木箱を開けてみようと思い立ったのは、帰宅後すぐのこと。
母の口ぶりからして、彼女はネジを抜いて箱の中身を覗いたのではないだろうか。そこに彼女が死に急いだ真の理由があるのではないだろうか。
たとえば、父の恐ろしい秘密――浮気や不正経理の証拠など――が隠されているとか。
せめて両親の死の理由が知りたかったので、喜美子は箱を開けることにした。抜くなというのが二人の遺言でも、このまま理不尽な記憶を抱いたまま生きつづけられるほど、喜美子は強くない。せめて恋人でもいれば、話は別だったかもしれないが。
「うーん」
また唸り、箱を握りしめて、ベッドに寝転がった。
「わおん」
ジロウが鳴いた。
ふと、右手の親指が泥沼に沈みこむような感覚を覚えた。ちょうど木箱のネジを押さえこむようにしていた。
右手を箱から離してみると、親指の腹の真ん中がネジのY字そのままに膨らんでいた。
いや、そのままではない。上下が逆。人という字になっている。
ふと、喜美子は思いついた。ネジの頭に刻まれたのはYではなく、最初から人の字だったのではないかと。
ためしにもう一度、親指を当ててみる。指の腹が人字の穴に沈み、がっちりとはまった。
軽くねじってみると、存外にあっさりとネジが回る。
「むむ」
どういう仕掛けかはわからないが、面白いネジもあるものだ。喜美子は感心しながら、およそ九十度ずつ手首をねじった。
うねぇ……と、木箱が、身をよじった。
「え……?」
錯覚ではない。黒い木箱がソフトクリームのような渦巻き型となっている。
ただの木の箱ではなかった。おそろしく不気味で、本能が一刻も早く投げ捨てろと訴えてくる。
それでも、喜美子は手を離すことができなかった。父と母が謎めいた遺言を残した理由は、間違いなくこの箱にあるのだ。今さら引き返すことはできない。
乾いた喉に唾液を流しこみ、ふたたびネジを回す。およそ九十度ずつ手首をねじって。
木箱はネジが回るごとにぐねりと渦巻き、一本抜けるころにはコイル状にツルを巻いた。
さらに二本、三本、そして四本と抜く。箱はすでに箱でなく、どういうわけかDNAのような二重螺旋構造となっていた。
その先端を塞ぐ板が、すっと横に滑って内側を晒した。
奇妙なことに、ねじくれた形のくせに、なぜか先端から奧まで見通すことができた。螺旋形の穴の奧、黒く塗られた木目が、人の目のように喜美子を見つめ返す。
そこにはなにも入ってはいない。埃すら見あたらなかった。
「どういうことよ、もう」
騙されたような気分で目を閉じ、ベッドに寝そべって、箱をベッドの脇に置いた。
箱自体が驚異に値するものではあったが、自殺の理由など見えてこない。父はいったい、この箱をなんのために作ったのか。母はなぜ死ななければならなかったのか。
鬱屈した思考には二週間で飽きていたので、すぐに勢いよく立ちあがって目を開けた。
視界いっぱいに渦巻くようなマーブル模様が広がっていた。
どこが上でどこが下かもわからない、無限のマーブル模様の最中に、喜美子は存在していた。
意味がわからない。ただ、平衡感覚が失われて、吐き気が催してくる。一歩進めば、マーブル模様がうねりと捻れて、また気分が悪くなる。
「なに……?」
呆然と呟くと、
「わおん」
ジロウが鳴いた。
すぐそばにペットがいる。足下にまとわりついてくる感触があった。
しかし、うつむいてもマーブル模様が広がるばかり。その渦巻いた模様の隅に、ジロウの体毛とそっくりのオレンジ色と白色が混じっていた。その色彩が、ジロウの存在を証明しているように思えた。
よく見てみれば、マーブル模様を形作っているのは、家具や壁紙、カーペットなど、部屋を構成していた各種の色彩であった。
もしかすると、ねじれたのは箱でも世界でなく、自分の視覚ではないだろうか?
人という字の刻まれたネジを回すうち、視神経がぐるぐるとネジ状に渦巻いてしまったのではないか。
思い返せば父と母の遺言は、「箱の中を見るな」ではなく「ネジを抜くな」であった。
「落ちつけ、喜美子」
自分に話しかけて動揺を収める。
まずは落ちつこう。そして思考を回すのだ。
「そう、喜美子落ちついて」
ネジを抜いて視界がねじれたのなら、またネジをはめれば元に戻るのではないか。
この予想が当たっていれば簡単なことだ。箱とネジさえ手元にあればすぐにでも治る症状である。
胸を撫で下ろそうとしたそのとき、
「あ……!」
今度こそ絶望感が襲いかかってきた。
箱がどこにあるのか、マーブル模様の中では確認できない。方向の感覚も狂ってるので、さきほどまで自分がどういう角度で歩んでいたのかもわからない。
ふらつきながら進んでいくうち、全身の感覚も曖昧になってきた。手を動かしているのか、脚を動かしているのか。次第にふらついているという感覚すら消えていく。
思いきり腕に力を入れたり、前屈みになったり、複雑な動きをしているという実感すら、螺旋状の世界に飲みこまれた。
ピリリ、と携帯電話が鳴った。たしか胸ポケットに入れている。どうにか正常を保っている聴覚を頼りに、携帯電話を引き抜いた。
マーブル模様のなかでは、液晶画面を見て相手の名前を確認することもできない。喜美子は手探りで通話ボタンを押した。
「ネジは抜いちゃダメ!」
最初にそう言ったとき、不思議な感覚に身体が囚われた。目に見えないなにかの手で、あらぬ方向に放り投げられるような感覚だった。
「わおん」
ジロウの鳴き声が遠くなる。
喜美子はマーブルの世界を高速で突き進んだ末、すさまじい衝撃で意識を失った。
「――はい、私は喜美子にゴハンを作ってあげようと思って、マンションに行くところでした。そうしたら、喜美子はベランダの手すりに登って、フラフラしてたんです。あのままじゃ落ちちゃうと思って、私、携帯電話を鳴らしたんです。喜美子は電話に出て、『ネジは抜いちゃダメ』って言って、そのまま落ちちゃって……」
喜美子の友人は警察にそう語り、泣き崩れた。
その時に即興で書いた短編小説をサルベージ。
すこし不思議系の話です。
______________________
『Y転マーブル』
喜美子はドライバーを片手に「うーん」と唸った。
見たこともない形の穴を刻まれたネジだった。
+でも-でもない。Y型だ。
もしかしたら、大工などの間では普通に使うものかもしれないが、すくなくとも喜美子の持っているドライバーでは形が合わない。
「わおん」
コーギーのジロウが同情するように鳴いた。
父の形見の黒い木箱は、要所をYネジで留められ、開かないようになっている。一辺二十センチほどの立方体で、材質も塗料もわからないが、鴉色の板にうっすら見える木目が人間の目のようで気持ち悪い。
父はこの箱を自作したのち、「いいか、けっしてネジを抜くんじゃないぞ!」と言い残して、ベランダから飛び降りた。マンションの七階で、即死だった。
職場では専務への昇進が決まったところで、大きな悩みもなかったはずだ。家族関係も円満で、自殺する理由は見あたらない。
それでも彼がいなくなったことは事実であり、母が後追い自殺をしたのも喜美子が直面した現実の出来事だ。
母はこの黒い木箱を手に持ち、急に白髪の増えた頭に爪を立てながら言った。
「あなたはネジを抜いちゃダメよ!」
その直後、喜美子の目の前で彼女はベランダから飛び降りた。
残された喜美子は葬儀ののち、二週間ほど虚脱状態に陥り、ジローと一緒にマンションに引きこもった。
ジロウのドッグフードが切れたので、仕方なしにドラッグストアに買い物へ出かけると、自然に活力が出てきた。黒い木箱を開けてみようと思い立ったのは、帰宅後すぐのこと。
母の口ぶりからして、彼女はネジを抜いて箱の中身を覗いたのではないだろうか。そこに彼女が死に急いだ真の理由があるのではないだろうか。
たとえば、父の恐ろしい秘密――浮気や不正経理の証拠など――が隠されているとか。
せめて両親の死の理由が知りたかったので、喜美子は箱を開けることにした。抜くなというのが二人の遺言でも、このまま理不尽な記憶を抱いたまま生きつづけられるほど、喜美子は強くない。せめて恋人でもいれば、話は別だったかもしれないが。
「うーん」
また唸り、箱を握りしめて、ベッドに寝転がった。
「わおん」
ジロウが鳴いた。
ふと、右手の親指が泥沼に沈みこむような感覚を覚えた。ちょうど木箱のネジを押さえこむようにしていた。
右手を箱から離してみると、親指の腹の真ん中がネジのY字そのままに膨らんでいた。
いや、そのままではない。上下が逆。人という字になっている。
ふと、喜美子は思いついた。ネジの頭に刻まれたのはYではなく、最初から人の字だったのではないかと。
ためしにもう一度、親指を当ててみる。指の腹が人字の穴に沈み、がっちりとはまった。
軽くねじってみると、存外にあっさりとネジが回る。
「むむ」
どういう仕掛けかはわからないが、面白いネジもあるものだ。喜美子は感心しながら、およそ九十度ずつ手首をねじった。
うねぇ……と、木箱が、身をよじった。
「え……?」
錯覚ではない。黒い木箱がソフトクリームのような渦巻き型となっている。
ただの木の箱ではなかった。おそろしく不気味で、本能が一刻も早く投げ捨てろと訴えてくる。
それでも、喜美子は手を離すことができなかった。父と母が謎めいた遺言を残した理由は、間違いなくこの箱にあるのだ。今さら引き返すことはできない。
乾いた喉に唾液を流しこみ、ふたたびネジを回す。およそ九十度ずつ手首をねじって。
木箱はネジが回るごとにぐねりと渦巻き、一本抜けるころにはコイル状にツルを巻いた。
さらに二本、三本、そして四本と抜く。箱はすでに箱でなく、どういうわけかDNAのような二重螺旋構造となっていた。
その先端を塞ぐ板が、すっと横に滑って内側を晒した。
奇妙なことに、ねじくれた形のくせに、なぜか先端から奧まで見通すことができた。螺旋形の穴の奧、黒く塗られた木目が、人の目のように喜美子を見つめ返す。
そこにはなにも入ってはいない。埃すら見あたらなかった。
「どういうことよ、もう」
騙されたような気分で目を閉じ、ベッドに寝そべって、箱をベッドの脇に置いた。
箱自体が驚異に値するものではあったが、自殺の理由など見えてこない。父はいったい、この箱をなんのために作ったのか。母はなぜ死ななければならなかったのか。
鬱屈した思考には二週間で飽きていたので、すぐに勢いよく立ちあがって目を開けた。
視界いっぱいに渦巻くようなマーブル模様が広がっていた。
どこが上でどこが下かもわからない、無限のマーブル模様の最中に、喜美子は存在していた。
意味がわからない。ただ、平衡感覚が失われて、吐き気が催してくる。一歩進めば、マーブル模様がうねりと捻れて、また気分が悪くなる。
「なに……?」
呆然と呟くと、
「わおん」
ジロウが鳴いた。
すぐそばにペットがいる。足下にまとわりついてくる感触があった。
しかし、うつむいてもマーブル模様が広がるばかり。その渦巻いた模様の隅に、ジロウの体毛とそっくりのオレンジ色と白色が混じっていた。その色彩が、ジロウの存在を証明しているように思えた。
よく見てみれば、マーブル模様を形作っているのは、家具や壁紙、カーペットなど、部屋を構成していた各種の色彩であった。
もしかすると、ねじれたのは箱でも世界でなく、自分の視覚ではないだろうか?
人という字の刻まれたネジを回すうち、視神経がぐるぐるとネジ状に渦巻いてしまったのではないか。
思い返せば父と母の遺言は、「箱の中を見るな」ではなく「ネジを抜くな」であった。
「落ちつけ、喜美子」
自分に話しかけて動揺を収める。
まずは落ちつこう。そして思考を回すのだ。
「そう、喜美子落ちついて」
ネジを抜いて視界がねじれたのなら、またネジをはめれば元に戻るのではないか。
この予想が当たっていれば簡単なことだ。箱とネジさえ手元にあればすぐにでも治る症状である。
胸を撫で下ろそうとしたそのとき、
「あ……!」
今度こそ絶望感が襲いかかってきた。
箱がどこにあるのか、マーブル模様の中では確認できない。方向の感覚も狂ってるので、さきほどまで自分がどういう角度で歩んでいたのかもわからない。
ふらつきながら進んでいくうち、全身の感覚も曖昧になってきた。手を動かしているのか、脚を動かしているのか。次第にふらついているという感覚すら消えていく。
思いきり腕に力を入れたり、前屈みになったり、複雑な動きをしているという実感すら、螺旋状の世界に飲みこまれた。
ピリリ、と携帯電話が鳴った。たしか胸ポケットに入れている。どうにか正常を保っている聴覚を頼りに、携帯電話を引き抜いた。
マーブル模様のなかでは、液晶画面を見て相手の名前を確認することもできない。喜美子は手探りで通話ボタンを押した。
「ネジは抜いちゃダメ!」
最初にそう言ったとき、不思議な感覚に身体が囚われた。目に見えないなにかの手で、あらぬ方向に放り投げられるような感覚だった。
「わおん」
ジロウの鳴き声が遠くなる。
喜美子はマーブルの世界を高速で突き進んだ末、すさまじい衝撃で意識を失った。
「――はい、私は喜美子にゴハンを作ってあげようと思って、マンションに行くところでした。そうしたら、喜美子はベランダの手すりに登って、フラフラしてたんです。あのままじゃ落ちちゃうと思って、私、携帯電話を鳴らしたんです。喜美子は電話に出て、『ネジは抜いちゃダメ』って言って、そのまま落ちちゃって……」
喜美子の友人は警察にそう語り、泣き崩れた。
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